+sanshin+
三線を始めたきっかけの旅はこちら■
2005.6.9(木)
昨年から先生に勧められつつも、悩みに悩んで4月にエイヤっと申し込んだ”琉球民謡協会コンクール新人賞”
とうとう出発の日がやってきた。子供は日が近づくにつれ、私の不在に不安顔。私は仕事でてんてこまい。
空港に着くまで不安だった。沖之永良部島出身の先間盛一民謡研究所の先生と仲間総勢12人や付き添いの家
族の方達が集まり、みんな不安を抱えながらもお互い顔を合わせてちょっとほっとする。
飛行機に乗っても緊張がとけない。そんな時、同じ飛行機に乗り合わせたたぶんアメリカ人の男の子がぎゅっと
抱いていたクマがあんまり可愛くて、那覇に着いて写真を撮らせてもらった。ちょっとなごんだ。
空港から乗ったワンボックスタクシーの天井に、BEGINのサイン。ホテルへ向かう道路沿いの英語の看板やがじ
ゅまるなどの南国の木々を眺めつつ、初めての那覇の景色はまだ夢の中よう。(写真撮る余裕もなかった!)
ホテルに着いて荷物を置いて、部屋から撮影。着いたよ-って家族にメール。
石垣と違ってすんごい都会。まだ沖縄来た気がしない。
ほっとしたのも束の間、すぐに民謡酒場へ移動。入り口にクリスマスツリー!?飾ってて、なーんかおおらかと言
うか、いい雰囲気。浜松の教室の人たちと合流。1人づつ課題曲、協会の名誉会長、登川誠仁作詞、作曲の”豊節”を度
胸試しに唄わされる!ここですでにもう足ぶるぶる~。明日の為に飲むのは控えようって思ってたけど、泡盛美味
しくて、もうええわっ!て前川ファミリーのすごいショー見ながら一緒に行った女の子たちと飲んでしまう。やっ
ぱオリオンビールに泡盛はうまいね~。ははは…。(力のない笑い)しばし頭をからっぽにできた。
6.10(金)
朝、浦添市にある会場が開く前にまわりの景色を眺めながら、最後の練習。そして、すぐに着物に着替えて、うち
なーんちゅの髪結いさんに琉装の髪に結ってもらう。『また、嫁入り行く気分ですわ~』と姿見に写る自分を見な
がら話す。髪結いさんは何十人もの髪を汗を流しながら一生懸命仕上げて行く。私の大好きなプロの仕事だ。嫁入
りより、戦(いくさ)前の武士のような前に進むしかない、きりりとした気分。いざ、出陣。もう出番はすぐだった。
舞台は想像以上に広く、ものすごい緊張感に満ちている。
運良く審査員が休憩に入り、一番だけリハーサルできることになった。それでも緊張で身体が固くなり、震える。
沖縄は三線も空手も礼に始まり、礼に終わる。10人近い審査員と観客の目が刺さる。
忘れたら5点減点だ。礼をしっかりしよう!いろんなことが頭をぐるぐる巡るが、身体が言う事を聞かない。心臓は
破裂しそうに鼓動し、手で押さえてなだめてもだめだ。調弦も狂っていたら命取りだ。それが、直前に合わない!!
急きょ舞台裏で先生に直してもらい、順番を待つ。なんであたし、ここにいるんやろ?ここはどこやろ?頭が混乱する。
『なっつが空手の試合がんばったから、おかあちゃんも頑張ってくるからな!』そう言って。大阪に残してきた子供の
顔がよぎる。でも、もうここまで来たら誰の為でもない、自分の為に弾こうと心に決めた。
『161番、豊節』舞台袖からゆっくりとおじぎをし、マイクまでゆっくり歩く。また審査員にゆっくりと礼をする。
慣れない着物の袖がひっかかる。ゆっくりとバチを弦にあて、弾き始めた。ゆっくりゆっくりと言い聞かせるが、逃げ
出したい!そんなココロの揺れが音に出る。三線が早くなったり遅くなったり、声も上ずる。音が飛ぶ。止まったら
おしまいだ。なんとか最後まで、後もう少しもう少し…。
ようやく、最後まで弾き切った。あとの礼もゆっくりできた。
ここまで、弾き終えた!それだけで十分だった。でも、まだ弾き終えていない教室の仲間がいる。観客席に行き、祈る
ように見守るしかない。年も仕事も様々で、なかなかみんなで集まる機会の少ない人たちだが、三線という楽器、そし
てコンクールという1本の線のつながりで出来た、不思議な強い連帯感が生まれる。最後の方が弾き終わり、やっと開
放感を感じる事が出来た。
これを乗り越えて、何が見えてくるのか?そんな事を前日まで考えていた。子供の頃の発表会、受験、バレーボールの試合
そして、30時間かかった出産。
どれにも当てはまらない、後も先もない、この一瞬で力を出し尽くすという初めて体験する今までにない緊張感。
弾き終えた後、他の女の子と話した。『この爽快感は、なんなんでしょうね?』
ただ、木々や花々に囲まれ、沖縄の少し湿った暑さと風を感じながら、言葉で言い表せない心地よさに包まれていた。
演奏が終わり、観光らしい予定は何もなかった。先生と教室のメンバーと4人で近くのそば屋で、ビールでひとまず乾杯し
ソーキそばを食べてほっとする。その後、疲れている先生を引きずり?つつ、首里城に近い識名園へ向かう。
タクシーのおじさんが色々と、ガイドをしてくれる。知らなかったけれど、琉球王国最大の別邸、識名園は2000年、世界
遺産に指定されたらしい。本当に沖縄のこと、何も知らない…。ちょっと情けない。
写真は高台からの眺めと、赤瓦の建物。涼しい風が時折吹き抜ける御殿(うどぅん)、生い茂る熱帯の植物、高貴な人々が
舟遊びに興じたであろう、オアシスのような池。
写真を撮るのも忘れて、しばし、昔の琉球の人々を想う。ここが戦争ですべて灰になってしまったという現実も知る。ゆっ
たりとした時間の流れを久しぶりに味わう。ここで三線弾きたかったなあ。ちょっと心残り。
荷物を抱えホテルに帰ると、どっと疲れが押し寄せる。みんなで公設市場へ繰り出すが、食堂でソーメンチャンプルー5口
くらい食べるのが精一杯。このまま、ホテルに戻って倒れるか、復活するかー、ふたつにひとつ。
ビール飲んだらー、じゃーん!!復活して、またまた民謡酒場へ!プロのステージの後、ノリノリで三線を弾いて唄う!
コンクールの時もこれくらいの度胸があればねえ~。母になり、封印していたものがこの夜はかなり弾けました。まだ7割
りくらいですけど。ほんの数時間だったけど、楽しかった~。かわいいレイナちゃんにいい唄教えてもらった。
『~ストレス溜めたらもう大変!~』しんどい時、思い出して唄おう!!しかし、ステージの獅子舞気になるなあ。
6.11(土)
とうとう、この旅行も最終日。午前中少しだけ時間があったので、おみやげ買いに公設市場へ。やっとちょっと観光客気分。
フレッシュなジュース飲んだり、新しい着物を選びに先輩方に連れて行ってもらったり。ハイテンションなので、ピンクの
着物を買ってしまった。大丈夫かな~。パインや島らっきょを試食したり、自宅用のシーサーを選んだり、散策を楽しんだ。
そうこうしているうちに、時間がなくなってきた。慌てて、ホテルへ足を速めると、『えるおきなわ』さんの看板が!
ここは、私が三線を習う前にネットで初心者セットの三線を買ったお店だ!偶然見つけて、飛び込んだ。
丁寧に対応してくれたえるおきのりえさんに、今回のこと、初めて買った三線のことなど、短い時間だったけれど話せて良
かった。りえさんも後日、別のコンクール新人賞を合格されたそうで、本当に良かった。
ここが、私の三線への第一歩でもあったから、ちょっとおおげさだけど、運命的なものを感じた。
中にミニ三線が入った、クリアブルーのバチを買って帰った。ただいま、そのバチで12/4の大きな発表会に向けて、難しい
早弾き『通い船』と『兄弟小節』を猛練習中。
こうして、あんなに悩んだコンクールの旅もあっという間に終わった。関空でみんなと別れるのが寂しかった。
この試練を乗り越えて何が見えてくるのか?それがちょっとわかった気がする。
私は目に見える形のあるもので、美大から仕事、このHPに載せているモノ作りまで自分を表現して来た。形にこだわってもがいてきた。
でも、自分を表現することは、それだけではない、目に見えないことでもできるんだ!ってことが、初めて分かった気がする。
結果はなんとか合格でした。でも、先生いわく、これは入り口にすぎないんです。
もっともっと、知らない事があるし、もっともっと練習が必要。気負わず、長く、楽しく三線を続けたい、そう思っています。
親が何かに打ち込んでいたら、子供もきっとその背中を見て何かを見つけてくれると信じています。
子育て、自分育て。私は今もしかしたら、次の脱皮中かもしれないです。
長くなりました。最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。
*後日談*
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旅から帰って1ヶ月くらいして、お気に入りのシャツがないのに気が付いた。無印のガーゼの白いシャツに自分で刺し子の
刺繍をしたやつだ。ホテルを出る時、忘れ物がないか、ここよし!ここもよし!と確認したはずなのに…。
さすが、子供の頃から、忘れ物大王!!ホテルに問い合わせたら、ありました!
ご丁寧に、きれいにして送って頂き、ありがとうございました。ホテル.サン.シーさん!お世話になりました。
もし気力と体力があれば、何年後かにまたコンクール挑戦に行きますね!!